当時、既に開港していた函館にはロシア帝国の領事館があり附属聖堂の管轄司祭として来日していたロシア正教会のニコライ神父は日本宣教の機会を窺いつつ日本の古典文学や歴史を研究していた。
領事館員の中に子弟に日本の武術を学ばせたいという者がいてその指南役となり領事館に出入りするようになった琢磨もニコライを知ることとなったが、攘夷論者だった琢磨はニコライの日本研究に対して日本侵略に向けた情報収集との疑念を抱きニコライをロシアから遣わされた密偵だと思うようになった。
そして殺害をも辞さぬ覚悟でもって大刀を腰に帯びニコライを訪問、来日や日本研究の意図を詰問した。
対するニコライは琢磨の問いに理路整然と答えるとともに、琢磨に対してハリストス正教の教えを知っているかと質問した。
知らぬと答えた琢磨に「ハリストス正教が如何なるものかを知ってから正邪を判断するのでも遅くはなかろう」と諭した。
確かにそれも一理あると考えた琢磨は以後ニコライの下へ日参して教えを学んでいくうちに心服し、後に友人の医師酒井篤礼らをも誘って教理を学んだ。そして、ついにはまだキリスト教禁制下の慶応4年4月2日(1868年4月24日)、酒井や浦野太蔵とともに秘密裡にニコライより聖洗機密(洗礼)を受け日本ハリストス正教会の初穂(最初の信者)となった。
聖名(洗礼名)は初代教会時代にキリスト教を迫害中、劇的な回心を経験して伝道者となりキリスト教の世界宗教化への道を開いた後に致命した聖使徒パウェル(パウロ)を与えられた。

キリシタン

◆1.キリシタン遣害の理由

宣教師ルイス・フロイスが暴君と呼ぶ豊臣秀吉が「伴天連(ばてれん)追放令」を発したのは、1587年7月24日(天正15年6月19目)でした。これは天正(てんしょう)の禁令として知られる第1回のキリシタン禁止令です。それ以後徳川時代にかけて、次々に発せられた禁止令の理由をまとめると、次の五つになるでしょう。

(1)植民地政策

キリシタンの宣教は西欧諸国の植民地政策と結びついていました。それは、初めに宣教師を送ってその国をキリスト教化し、次に軍隊を送って征服し植民地化するという政策です。秀吉は早くもそのことに気づいて主君信長に注意をうながしています。

ポノレトガル、スペインのようなカトリック教国は強力な王権をバックに、大航海時代の波に乗ってすばらしく機能的な帆船や、破壌力抜群の大砲を武器として、世界をぐるりと囲む世界帝国を築き上げていました。その帝国が築き上げた植民地や、その植民地をつなぐ海のルートを通って、アジアでの一獲千金を夢見る冒険家たちが、何百、何千とビジネスに飛ぴ出していきました。

そうした中にカトリックの宣教師たちも霊魂の救いを目指して、アジアに乗り出して行ったのです。彼らが求めたのは、霊魂の救いだけではなく、経済的利益でもありました。

ザビエルがゴアのアントニオ・ゴメス神父に宛てた手紙から引用すると、
「神父が日本へ渡航する時には、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような相当の額の金貨と贈り物を携えてきて下さい。もしも日本国王がわたしたちの信仰に帰依することになれぱ、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的利益をもたらすであろうと神かけて信じているからです。堺は非常に大きな港で、沢山の商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀か金が沢山ありますので、この堺に商館を設けたらよいと思います」(書簡集第93)

「それで神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。なぜなら、前に述ぺたように、堺の港についた時、持ってきたのが少なけれぱ、日本でたいへんよく売れ、うんと金儲けが出来るからです」(書簡集第9)。

ザビエルはポルトガル系の改宗ユダヤ人(マラーノ)だけあって、金儲けには抜け目ない様子が、手紙を通じても窺われます。ザビエル渡来の三年後、ルイス・デ・アルメイダが長崎に上陸しました。この人も改宗ユダヤ人で、ポルトガルを飛ぴ出してから世界を股にかけ、仲介貿易で巨額の富を築き上げましたが、なぜか日本に来てイエズス会の神父となりました。彼はその財産をもって宣教師たちの生活を支え、育児院を建て、キリシタン大名の大友宗瞬に医薬品を与え、大分に病院を建てました。

(2)奴隷売買

しかし、アルメイダが行ったのは、善事ばかりではなく、悪事もありました。それは奴隷売買を仲介したことです。わた〕まここで、鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」P249~257から、部分的に引用したいと思います。

「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。

数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた事実を、今こそ、日本のキリスト教徒たちは考え、語り継がれよ。その勇気があれぱの話だが」。
(以上で「天皇の回ザリオ」からの引用を終ります)

わたしはこれまで各種の日本キリシタン史を学んで来ましたが、この『天皇のロザリオ」を読むまでは、「奴隷」の内容について知りませんでした。しかし、こういう事実を知ったからには、同じキリスト教徒として真摯な態度で語り継いで行きたいと思います。

なお今年の1月30日に、第5版が発行された、若菜みどり著「クアトロ・ラガッツィ(四人の少年の意)」(天正少年使節と世界帝国)P.414~417」に奴隷売買のことが報告されていますが、徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇P337-387」からの引用がなされているにもかかわらず、「火薬一樽につき日本娘50人」の記録は省かれています。

そして、「植民地住民の奴隷化と売買というビジネスは、白人による有色人種への差別と資本力、武カの格差という世界の格差の中で進行している非常に非人間的な『巨悪』であった。英雄的なラス・カサスならずとも、宣教師はそのことを見逃すことができず、王権に訴えてこれを阻止しようとしたがその悪は利益をともなっているかぎり、そして差別を土台としているかぎり、けっしてやむものではなかった」(p.416〉と説明して、売られた女性たちの末路の悲惨さを記しています。かなり護教的な論調が目立つ本です。

秀吉は準管区長コエリヨに対して、「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ」と命じています。

(3)巡回布教

更に秀吉は、「なぜ伴天連たちは地方から地方を巡回して、人々を熱心に煽動し強制し’て宗徒とするのか。今後そのような布教をすれば、全員を支那に帰還させ、京、大阪、堺の修道院や教会を接収し、あらゆる家財を没収する」と宣告しました。

(4)神杜仏閣の破壊

更に彼は、なぜ伴天連たちは神杜仏閣を破壊し神官・僧侶らを迫害し、彼らと融和しようとしないのか」と問いました。神杜仏閣の破壊、焼却は高山右近、大友宗瞬などキリシタン大名が大々的にやったことです。これは排他的唯一神教が政治権カと緒ぴつく時、必然的に起こる現象でしょうか。

(5)牛馬を食べること

更に彼は、なぜ伴天連たちは道理に反して牛馬を食ぺるのか。馬や牛は労働力だから日本人の大切な力を奪うことになる」と言いました。

以上秀吉からの五つの詰問にたいする、コエリヨの反応は極めて傲慢で、狡猪な、高をくくった返答でした。高山右近を初め多くのキリシタン大名たちはコエリヨを牽制しましたが、彼は彼らの制止を聞き入れず、反って長崎と茂木の要塞を強化し、武器・弾薬を増強し、フイリピンのスペイン総督に援軍を要請しました。

これは先に巡察使ヴァリニヤーノがコエリヨに命じておいたことでした。しかし、かれらの頼みとする高山右近が失脚し、長崎が秀吉に接収されるという情勢の変化を見てヴァリニヤーノは、戦闘準備を秀吉に知られないうちに急遽解除しました。

これらの経過を見れば、ポルトガル、スペイン両国の侵略政策の尖兵として、宣教師が送られて来たという事実を認めるほかないでしょう。これらの疑問は豊臣時代だけでなく、徳川時代300年の間においても、キリシタンは危険であり、キリシタンになればどんな残酷な迫害を受けるかわからないという恐怖心を日本人全体に植え付けることになり、キリスト教の日本への土着化を妨げる要因になったと言えるでしょう。(後略)

高山右近は、火薬と引き換えに日本人を売り飛ばさなかった。売ったのは九州の大名たち。|日本のお姉さん (via edieelee)

正教徒ですけど、いまさら云ってもカトリックの悪口になるだけだから特に話題に上らない限り普段は黙ってるけど、当時のカトリック(特にイエズス会)のやり方は本当にエゲツなかった(し、キリスト教の教義なんかそっちのけの覇権主義、あそこは1054年に勝手に教義を変えて分裂、破門された経緯からしてそういうところ)というのは(カトリック以外のクリスチャンには)知ってる人は知っている結構有名な話で、上記のような理由が実際にあったと思うから当時の日本においてキリスト教(という名のカトリシズム)が弾圧されてもしょうがなかったし禁止・追放は妥当で、そうすべきだったと思う。

その国の伝統宗教建立物の焼き討ちなんてとんでもないし、それに対抗した秀吉や家康は正しかったし賢かったと思うよ

しかし矛盾するようだけど、何も知らずに教義を純粋に信じていたにすぎない無学な末端の信者達まで踏み絵によって試され殺されたのはやっぱり殉教者といえるし人道的にはあくまでも被害者と云えるんじゃないかなあ・・それはそれ、これはこれで考えたい。

ちなみにモリッシーは「カトリックはキリスト教とはなんの関係もない」と云っている。

マザー・テレサのような人もいるけど、私はカトリックはもはや(いまだに)政治団体だと思っている。

しかし恐らく多くの一般カトリック信者だって、こんな歴史の経緯を聞いたら(それが事実と認められれば)教会に対してとまどいと憤りを感じるのだろうし、なによりも悲しむことだろう。。

さらに靖国神社が存続できたのもバチカン市国の尽力おかげです

実は1945年日本を占領したGHQは靖国神社を
「国家神道の中枢で大東亜戦争を引き起こす事にもなった国家主義の源泉」と考え
靖国神社を焼き払い跡地にドックレース場を建設する計画を立てていました

それに対し
バチカン市国ローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル神父と
大東亜戦争中に日本に唯一留まったアメリカ人でメリノール宣教会のパトリック・バーン神父は

「いかなる国家も
その国家の為に死んだ戦士に対して敬意を払う権利と義務がある
それは戦勝国か敗戦国かに問わず平等の真理でなければならない
靖国神社を焼却する事はGHQの占領政策と相容れない犯罪行為だ!!
靖国神社が国家神道の中枢で誤った国家主義の根源であるというなら
排すべきは国家神道という制度であって靖国神社ではない
我々は信仰の自由が完全に認められ
神道・仏教・基督教・ユダヤ教・イスラム教などいかなる宗教を信仰する者だろうと
国家の為に死んだ者は総て靖国神社にその霊を祀られる様にする事を進言する!!」

この進言は副官のH・B・ウィラー大佐を通じダグラス・マッカーサー将軍に送達され
この答申を尊重し靖国神社焼却中止の命令を発しました
こうしてGHQは靖国神社を存続させる事にしました

靖国神社に行こう 第2章 : 在日朝鮮人の戯言 (via ittm)

靖国を存続させたのは素晴らしいし何処の国でも戦死者の為には祈るべきだけど、最後のトコだけなんか変・・クリスチャンなら戦死しても教会墓地等に入れて欲しい筈。少なくとも私はそうだ。神社に祀られるのは違う気がする。

12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/25(木) 00:55:06.47 ID:dO4HQFwr0
日本人全員で靖国行ったら国交断絶してくれるのかな

妹はVIPPER : 麻生さん韓国入国禁止キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! (via plasticdreams)

日本人全員でという言葉が出たので、ついぞ書きますが・・

麻生さん(カトリックの政治家)はともかく日本人でも一般的なクリスチャンは基本的に神社参拝しない筈なんだけど、そういう人も非国民扱いされるんだろうか

靖国云々じゃなくて神社である以上は信教の自由の問題としてそこのところが気になる。

英霊の為に靖国参拝するのは良いことだと思うけど、他宗教の人が宗教の違いを理由に参拝しないのまで日本人のくせにとか云われそうな空気が一部にあるような・・

ちなみに仏閣は神じゃないので参拝可否の問題は全くないんだけど。

一神教ってそういうことなんですよね

で、わたしは正教会信者です

私は英霊の為に祈ることは自宅にいても教会でも出来ると思ってます。

ちなみに正教会では天皇の為に祈る祈祷文が奉神礼(カトリックでいうところのミサ)に組み込まれています。

今問題になってることとはかなりズレてるとこで1人で勝手にモヤ〜ッとしてる自分、ってことはわかってるんだけど。

Filmul Dupa Dealuri, regizat de Cristian Mungiu, i a deranjat pe reprezentatii bisericii Stiri - YouTube

【ネタばれ】「誰が彼女に引導を渡すのか。」 汚(けが)れなき祈り/ユーザーレビュー - Yahoo!映画

2005年に起こったルーマニア正教会悪魔憑き事件では、修道女見習いが十字の担架に縛られ、飲まず食わずの悪魔払いで死亡したというショッキングな報道をされた。30歳に満たない神父はもとサッカー選手で、本来男性用の修道院に修道女20人を集めたというのだから、何やらいかがわしい臭いがする。
これだけ聞くと、ろくに経験のない神父が正教会を隠れ蓑に勝手に自分に都合のいいコミュニティを作り上げ、挙げ句行きすぎた行為と集団ヒステリーにより修道女見習いを殺すと言う一種のカルト宗教事件のように見える。

しかし、映画から受ける印象は違う。
この映画について監督が言う「宗教の過ちをくりかえさない」という言葉とは裏腹に、彼らに同情さえ覚える作りとなっている。

そもそもアリーナに救いの道があるのか疑問に思う。

事件の被害者であるアリーナは孤児院の出身であり、総合失調症を患っている。
同じ孤児院出身のヴォイキツァはかなり親密な仲であり、やたら一緒に寝たがったり、胸を露わに横たわったりとセクシャルな関係を匂わす。
実際の事件においても、ふたりが同性愛の関係にあったのかはわからないが、それとは別に孤児院では性的虐待があったとされている。そこには人口大増進政策により育てられなくなった親が子供を捨て、大量の孤児を出したと背景がある。

いずれにせよ、アリーナにとっては心の支えはヴォイキツァしかいない。完全にヴォイキツァに依存した状態にある。
だが、ヴォイキツァといえば、彼女が依存しているのは宗教であり、そこに救いを見いだしている状態である。
最愛の人間を宗教にとられ、おまけに精神的病を抱えたアリーナは神父をはじめ教会を敵視する。アリーナが同性愛者ならば、それを否定する教会の教義は尚更彼女が拒否するものであろう。
とはいえこれではアリーナは修道院にとってはとてつもなく厄介な存在であることは間違いない。

修道院では中世のような暮らしを慎ましやかに、本人の意思と信仰によって行われているし、本来修道院は信仰なきものを受け入れる場所ではないので、神父がアリーナを受け入れないのは仕方がないことのように思う。
おまけに神聖な場所に入り彼らの信仰を土足で踏みつけるようなアリーナはいかがなものかと思う。私は無宗教であるが、無害である限り、例えそれが自分にとって茶番と思われようとも、アリーナのようなふるまいが許されるとは思わない。
アリーナが病気であることを差し引いてもかなりエゴイスティックに映る。正直アリーナには苛立ちを覚えた。

そんなアリーナは病院に入って治療を受ける費用もなく、里親は別の子供を引き取り、彼女もまた自ら里親を拒否し、路頭に迷う以外に道がないという八方ふさがり状態。
そ の上、コミュニティを破壊してもヴォイキツァを得ようとするアリーナの頑固さ、そのアリーナを見捨てられず、かといって彼女とふたりで生きることも出来 ず、ひたすら教会の助けを求めるヴォイキツァ。冒涜、放火、発作とアリーナをもてあます彼らがもはや悪魔払いしかないという発想においつめられていくのも わからないでもない。
そもそも、この状況下でアリーナが救われる方法が何かあったのだろうか。修道院が見放せばどちらにしても病気を抱えたまま路 頭に迷ってのたれ死にする以外にないようにも思える。病院に入れても治療費が支払えず、結局は放置されて終わりではないか。里親だって彼女をもてあますだ ろう。
万策尽きたら神頼みしか残された道はない。
だから、修道院で悪魔払いをして殺してもいいとは言わないが、誰が彼女に引導を渡すかという状況下ではあったと思う。

映画では判事の裁きは描かれない(実際の事件では神父をはじめ悪魔払いに関わった修道女は実刑を受け、二度と聖職にはつくことは出来ないようだ)。
彼らを取り巻くルーマニアの社会状況、そこに追い詰められた人々の暮らしを思うと、何が悪い、誰が悪いと言い切れないやるせなさを覚える。
ただ、逃げ場のない閉塞された状況が悲劇の温床となることは間違いない。
このあたりは後に観た『愛、アムール』とも通じるテーマを感じる。

新宗教であってもふつう、現世の価値は否定せずに「このやり方のほうがうまくいくよ」と説く。つまりゴールは変更せずに、ルール変更を語るわけです。ところがオウムは現実社会との接点を持たずに内に閉じた。「この社会は完全に間違っているから破壊するべきだ。別のゴールを設定しよう」と全否定に走ったのです。

宗教は「負けている人」の逆転勝ちしたいという欲望をかきたてるところがあるのだと思います。世の中に違和感を抱く人。「かけがえのないあなた」という甘いメッセージと「ちっぽけな自分」という現実との落差に苦しむ人。自分の価値が見いだせず、敗北者の気分になっている人。そうした人たちも、世界観を転換することで「勝利者」になれるわけです。

オウムは終わったのか②~小池龍之介|さぶろうの WORDS OF LOVE (via kanose)

伝統キリスト教も基本的に現世否定なんだけど、間違っているから破壊しようとはならずに間違った世の中にあっても流されず忍耐して慎ましく神の目には正しく生きよう(十戒を守る等)、そして救いは来世(復活後)にあるという考え方で、これも「別のゴール設定」と云えるかも。単なる生き方指南(「このやり方の方がうまういくよ」)というのは現世利益の宗教でむしろ新興宗教に多い。オウムは過激派というか極端に破壊の方向に行ったのが問題なのであって、現世否定自体はむしろ伝統宗教的だと思うが。

-日本
 日本の自殺率の高さについては、WHO精神保健部ホセ・ベルトロテ博士はこう言っている。「日本では、自殺が文化の一部になっているように見える。直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられている。これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向だ。」こうした点は当の国の人間では気づきにくい見方かと思われる。(自殺許容度と実際の自殺率との相関を図録2784に掲げた。)
 英エコノミスト誌(2008.5.3)は女子生徒の硫化水素ガス自殺(4月23日)の紹介からはじまる「日本人の自殺-死は誇らしいか」という記事で日本の自殺率の高さについて論評している。経済的な要因についてもふれているが、記事の主眼は日本人の文化的な要因、あるいは社会的特性であり、上記の見方と共通している。「日本社会は失敗や破産の恥をさらすことから立ち直ることをめったに許容しない。自殺は運命に直面して逃げない行為として承認されることさえある。サムライは自殺を気高いものと見なす(たとえ、それが捕虜となってとんでもない扱いを受けないための利己心からだとはいえ)。仏教や神道といった日本の中心宗教は明確に自殺を禁じていたアブラハム系信仰と異なって、自殺に対して中立的である。」日本政府は9年間に自殺率20%減を目標にカウンセリングなどの自殺対策に昨年乗り出したが、同誌は、重要なのは社会の態度であると結論づけている。「一生の恥と思わせずにセカンドチャンスを許すよう社会が変われば、自殺は普通のことではなくなるであろう。」

-スリランカ
 大陸の南東方向に位置する島国である日本、スリランカ、キューバの自殺率が何故か共通して高い。女性が書いたスリランカに関するブログを見ると、本気になったスリラ ンカ男性に対して気を持たせるだけ持たせて振ると自殺してしまうこともあるから要注意、といった記事もある。スリランカと日本とでは、インド、あるいは中国という 西隣の大陸国から伝来した仏教を大陸国で衰えた後も保持しているという共通点がある。歴史的には日本と同じように自決をよしとする武士道があったという。「戦場で勇敢に戦って死んだ武士が、死後天に生まれるという思想」をスリランカではヴィルバットゥという。「日本では仏教、ことに禅が武士道を基礎づけたが、セイロン(スリランカ)でも、武士道が仏教(上座部仏教)とむすびついている。」セイロンの博物館には12世紀につくられた「戦士の自決をたたえる浮彫りがある。日本の自決(切腹)と引き比べて興味深い。」(中村元「古代インド (講談社学術文庫) 」(1977))

町山智浩の映画塾! 「ツリー・オブ・ライフ」<予習編>

町山智浩の映画塾! 「ツリー・オブ・ライフ」<復習編>←ネタバレ

観てないけど解説だけで面白かったw

「東日本大震災の被災地では、お化けが出ていますよ」

 ――どういうことですか。

 「都市というのは、例えば、ある地点からある地点まで車で何分と予測できますが、被災地はそのような予測が不可能な闇の世界です。その中で、自然の感覚だけが露出すると、人はお化けや妖怪を見てしまうのです。仮設住宅に行った看護師も見ています」

 「日本でお化けが消えたのは、いつだと思いますか。明治時代に哲学者の井上円了が全国各地のお化けを調査して、迷信だとして退治してからです。それ以来、合理性の名の下に日本人は、お化けを見る感覚を失ってしまったのですが、今回の大震災のような形で人と自然が対峙すると、やはり見てしまうのです」

 「大震災で公的なネットワークがなくなった時、宮城県の石巻市などでは被災者は寺に集まりました。被災地への支援物資として無償で配られた数珠や位牌、お札などは大変な人気を集めました。小さい仏像や地蔵も人気でした。手を合わせられるものがあると、人は気持ちがおさまるのです。今回の大震災で改めて、儀式や祈祷の重要性に気づかされました。実は、これらは自分たちの世代が壊してしまったものなのですが、また造り直さないといけません」

岡田斗司夫の語るキリスト教

なんとな〜く悪魔の存在は信じてるのに、神については絶対に信じたくないって日本人結構多いと思うな〜w と前から思ってたら

雑誌が組む特集の中には、単行本で読むよりもはるかに多くの情報が含まれていることがある。編集者が、カメラマンに写真を撮らせ、ライターを集めて作る記事は、良い意味での「興味本位」でできているからだ。
これは、一冊、丸ごと、エルサレムとユダヤ教、イスラエル建国史である。写真や図案も魅力的である。
エルサレム。アブラハムが息子イサクを犠牲に捧げようとした岩の上に、後にダビデの第一神殿が建てられた。それはやがてヘロデ王時代の神殿とも重なるが、7世紀、エルサレムを征服したイスラム教徒は、荒廃していた岩の聖地に「岩のドーム」を作った。ここからムハンマドは昇天したとされ、イスラム教徒にとっても聖地になった。
「スファラディー系」「アシュケナジ系」ユダヤ人。ユダヤ教の年中行事。ラビの生活。イスラエル建国史。現代に活躍するユダヤ人。
手軽に読めて、値段も安い。なかなか、どうして。

Amazon.co.jp: カスタマーレビュー: Pen (ペン) 2012年 3/1号 [雑誌]

ドイツ生まれのユダヤ人エーリッヒ・グートキント(1877~?)は、「彼」は近くにいて、しかも永遠に触れえない。「彼」はわれわれに近接していながら、われわれは決して「彼」と交わることが許されない。と云った。
大燈国師の「億劫相別而須臾不離、盡日相対而刹那不対」である。
そして、イスラエルが「彼」からいつも「見ること」(=世界の始まる以前の黙した、閉ざされた時期に属する)でなく、「聞くこと」(=聴覚的要素は言語の一部として高次の世界に属する)を命ぜられた所以である。
「彼」がわれわれに応えるのは世界のなかから「彼」を通すことにによってのみであり、全てのものが「彼」を通して存在する。
そして、「彼」を除いて何ものも「私」とは言えない
そこは、「吾と汝、吾ら、世界において在り、これのみにて足るべし」と「彼」が言った一個の生きた世界であり、言葉の世界である。物もまた言葉の世界である。物理学の世界、観念の世界は死の世界である。
といった白熱の言葉を残した。

ユダヤ教とは何か、ユダヤ人とは誰か、そして、ユダヤ、キリスト、イスラム教の聖地現代エルサレムの特集である。
ビジュアルで、写真がよく撮れている。
説明も簡潔に要領よくまとめられている。入門書として上々。
値段も安く取っつき易い。
現代に活躍するユダヤ人を100人程に増やして、その理由を解析したらきっとより魅力的なものとなっていたに違いないがこの価格では期待過ぎというものだろう。

「アタマの引き出し」は生きるチカラだ!: Pen (ペン) 2012年 3/1号(阪急コミュニケーションズ)の「特集:エルサレム」は、日本人のための最新のイスラエル入門ガイドになっている

目 次
      【特集】ユダヤ・キリスト・イスラム 3宗教の聖地へ。エルサレム
唯一絶対の神と結ばれた、聖地の変遷。 3つの宗教から見た、聖なるエルサレム イエス生誕の地、ベツレヘムのミサに与る。 民族の誇りの象徴、壮大なマサダを望む。 重厚な歴史が凝縮する、巨大博物館へ。 ユダヤ教とは何か? ユダヤ人とは誰か? 神による啓示、聖典トーラーを学ぶ意味。 世紀の発見、最古の聖書を含む 死海文書。 ユダヤ教の視点で、聖書を読み解く。 シャガールが描いた、ユダヤのためのステンドグラス。 遡ること4000年、ユダヤの歴史を知る。 地域住民を牽引する、ラビの1日に密着。 シナゴーグとは、こんな役目を果たす場所です。 生涯を鮮やかに彩る、さまざまな祭りや儀式。 ユダヤ宗教学校では、何を学んでいるのか。 ユダヤ人が、エルサレムに住む意味とは? 超正統派の人々が暮らす、未知のエリアへ。 つながるために活動する、ふたつの組織。 各界で才能を発揮する、ユダヤ系著名人。

【とじ込み付録】イスラエル最新案内


この雑誌の特集については、イスラエル大使館文化部からの情報で知った。現地での取材を含めて全面的に協力しているようだ。ふつうは入れないような施設の内部も取材している。 エルサレムで現地取材した記事と、なによりも大判の雑誌であるだけに、収録された美しい写真の数々がすばらしい。保存版として一冊買っておく価値はある。 日本ではあまり知られていない、ユダヤ教の観点からのエルサレムとイスラエルの特集である。いわば、日本人の一般読者のためのビジュアル版のジュダイカ(=ユダヤ文化総覧)になっている。 聖書は大きくわけて、旧約聖書と新約聖書でなりたっているというのが教科書的な常識となっている日本人にとっては、ユダヤ教による聖書解釈など、日本人読者の多くにとっては新鮮に映るものであろう。 一般に「ユダヤ・キリスト教」という表現で語られるユダヤ教であるが、キリスト教発生以後に発展したユダヤ教が視野に入っていない、誤解を生みやすい表現であることは、あらためて強調しておきたい。その意味では、きわめて意欲的な特集であるといえる。【とじ込み付録】イスラエル最新案内は、とくにアートやデザイン関係の最新情報がありがたい。

「アタマの引き出し」は生きるチカラだ!: Pen (ペン) 2012年 3/1号(阪急コミュニケーションズ)の「特集:エルサレム」は、日本人のための最新のイスラエル入門ガイドになっている

目 次

      
【特集】ユダヤ・キリスト・イスラム 3宗教の聖地へ。エルサレム

唯一絶対の神と結ばれた、聖地の変遷。
3つの宗教から見た、聖なるエルサレム
イエス生誕の地、ベツレヘムのミサに与る。
民族の誇りの象徴、壮大なマサダを望む。
重厚な歴史が凝縮する、巨大博物館へ。
ユダヤ教とは何か? ユダヤ人とは誰か?
神による啓示、聖典トーラーを学ぶ意味。
世紀の発見、最古の聖書を含む 死海文書。
ユダヤ教の視点で、聖書を読み解く。
シャガールが描いた、ユダヤのためのステンドグラス。
遡ること4000年、ユダヤの歴史を知る。
地域住民を牽引する、ラビの1日に密着。
シナゴーグとは、こんな役目を果たす場所です。
生涯を鮮やかに彩る、さまざまな祭りや儀式。
ユダヤ宗教学校では、何を学んでいるのか。
ユダヤ人が、エルサレムに住む意味とは?
超正統派の人々が暮らす、未知のエリアへ。
つながるために活動する、ふたつの組織。
各界で才能を発揮する、ユダヤ系著名人。

【とじ込み付録】イスラエル最新案内

この雑誌の特集については、イスラエル大使館文化部からの情報で知った。現地での取材を含めて全面的に協力しているようだ。ふつうは入れないような施設の内部も取材している。

エルサレムで現地取材した記事と、なによりも大判の雑誌であるだけに、収録された美しい写真の数々がすばらしい。保存版として一冊買っておく価値はある。

日本ではあまり知られていない、ユダヤ教の観点からのエルサレムとイスラエルの特集である。いわば、日本人の一般読者のためのビジュアル版のジュダイカ(=ユダヤ文化総覧)になっている。

聖書は大きくわけて、旧約聖書と新約聖書でなりたっているというのが教科書的な常識となっている日本人にとっては、ユダヤ教による聖書解釈など、日本人読者の多くにとっては新鮮に映るものであろう。

一般に「ユダヤ・キリスト教」という表現で語られるユダヤ教であるが、キリスト教発生以後に発展したユダヤ教が視野に入っていない、誤解を生みやすい表現であることは、あらためて強調しておきたい。その意味では、きわめて意欲的な特集であるといえる。

【とじ込み付録】イスラエル最新案内は、とくにアートやデザイン関係の最新情報がありがたい。