KKKの没落は、1925年の3月15日に当時KKKの指導者的な立場にあったデビッド・カーチス・スティーブンソン(en:D. C. Stephenson)が起こした事件が契機となっている。当時この事件はかなりセンセーショナルなものであり、この事件に対する裁判の結果がKKK崩壊のきっかけとなった。また、スティーブンソンが禁酒法賛成論者で、キリスト教的「女性らしさ(貞淑さなど)」を支持すると公言していたことがさらに事件の傷口を広げることになった。
事件の経緯は以下の通りである。犯人のスティーブンソンがインディアナ州の女性教師だったマーガレット・オーガスティン・オーバーホルツァー(en:Madge Oberholtzer)を拉致し、シカゴ行きの汽車に連れ込み(スティーブンソンは自分専用の貨車を持っていた)、無理やり酔わせ、強姦し、さらに全身を噛んだ。インディアナポリスに戻った後、スティーブンソンは自分の家からオーバーホルツァーを解放した。去り際に彼女は「必ず法があなたを裁くでしょう!」と言ったがそれに対してスティーブンソンは笑いながら「私が法律だよ」と言った。しかし法は彼の味方をしなかった。
帰宅後オーバーホルツァーは治療を受けたが、スティーブンソンに連れ回されていた間に自殺しようと飲んだ塩化水銀の影響で既に手遅れの状態であった。彼女は死ぬ前(3月28日)にスティーブンソンを告発、自分が受けた仕打ちを詳細に供述し、4月14日に腎不全により死去した。しかし、仮に彼女が自殺を試みるために塩化水銀を飲み干していなくても、おそらく感染症で死んだだろうとも言われている。後に彼女を診察した医師は、彼女の体を見て「まるで狼の群れに襲われたようだ」とコメントした。
彼女の証言を元にスティーブンソンは起訴される。スティーブンソン(及び彼の弁護士)は、彼女の死は自殺であり自分とは関係ないと主張するが、司法は第2級殺人罪(アメリカで言う「計画的ではないが故意による殺人罪」)と認定、終身刑を宣告する。この事件は多くのKKK構成員を憤慨させ、インディアナ州の場合、1928年には18万人もいたメンバー数が1930年には4000人にまで激減する。
当時のインディアナ州知事はKKKのメンバーで、スティーブンソンが積極的に支持することによって当選できたエドワード・L・ジャクソンだった。この事からスティーブンソンは特赦か減刑を期待していたようだが、ジャクソンはそれを当然のごとく拒否。それに怒ったスティーブンソンは1927年にKKKから賄賂を受け取っていた州職員のリスト(ジャクソンを含む)を公表し、さらにKKKのイメージを悪化させた。その結果、インディアナ州政府からKKK色は一掃される事になり、全国的な影響力は大きく低下した。ジャクソン知事本人も前知事を買収しようとした容疑で訴追され、有罪にはならなかったものの「買収しようとしていたことは事実である」と認定された。
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