映画評論 : Cool Culture Critics

「幼い頃太陽を見るな、と母にいわれたが、6歳の時に一度見た、ま ぶしかったが、瞬きをこらえ続けると、まぶしさが消え始め、瞳孔が縮み、すべてがはっきりと見えた。その瞬間わたしは理解した。新しい仮説、われわれがら せんから創られたとしたら、われわれが従事するものすべてが「らせん」でみたされている。」(作中より)

「1、数学は万物の言語
2、全ての事象は数字に置き換え、理解できる
3、それを数式化すれば、一定の法則があらわれる
ゆえに全ての事象は法則をもつ。数字であらわされる世界経済、何十億人もが参加し、世界に広がるネットワーク、それは自然の有機体、わたしの仮説、株式市場にも法則がある。眼の前を流れる数字の影に、ムカシも今も。」(作中より)

ドストエフスキーの「地下室の手記」やカフカの小説群、サルトルの「嘔吐」やジュネ、実存主義、もう少し時代を近づけていうと、アンディ・ウォーホルにヴェルヴェットアンダーグラウンドゴダールPUNK、フィリップ K ディック、ウィリアム・ギブスン、あるいはガタリ=ドゥルーズ― などは知的アンダーグラウンドの物語だったが、これもまた地下にうごめく知性の物語。地下的な感性というものは、都市的で、地上で許されないものへの接 近、アンチヒューマニズム、痛みと秘密めいた快楽、既存価値への反逆、秘密結社、機械、快楽器官の分解としてのSM、有機物と無機物の超越と合体、アンド ロイド化、ドラッグ―といったエレメントを含む小集団からなる「冒険」(JP・サルトル)、「実験」(ガタリ=ドゥルーズ)の精神で結ばれた共同体だろ う。この映画で描かれるのは、反逆する陽気な小集団ではなくて、最小単位のユニットとしての師弟であり、この師弟間の相克が中心に据えられ、頭の痛みと数 学的野心がその戦いの舞台となっている。知的でありながら肉体的、キャッチコピーによれば、「デヴィット リンチとキューブリックが出会った」かのような 怪奇幻想と知性の混在。あるいは肉と知性神秘主義のマーブリング。

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